title:Artroverse ver.1.0j
木村応水 作
1998


 タロウは山裾の窪地の〈裁きの岩〉の前に立ち、その身の丈ほどの石
柱を見据えながら、突き出した片手に全霊を集中した。導師ロブが冷然
と見守る背後にタロウと同輩の若い弟子が三人控え、車座にまわりを取
り巻いた年かさの修道僧たちは思いやりを示す知恵の光条を放ちながら
息を詰めて首尾をうかがっていた。「ひたすら信じることだ」ロブはタ
ロウを励ました。「迷いがあってはならぬ。ただ一念をもって五体を満
たせ」
 信仰が試される瞬間である。タロウは学び覚えたすべてを傾けて念力
を凝らした。体内に灯をともしたように、タロウの手が光を発した。
「今だ!」導師が気合いをかけた。
 タロウはきっと身構えて石柱の腹を突いた。無垢の石は抵抗もなくそ
の手をすっぽり飲み込んだ。石に手を埋めたタロウはみなぎる精力が五
体を駆けめぐる不思議な気持ちを覚え、物質が自分の意志に従ったこと
に舞い立つほどの歓喜を味わった。
 力が萎えて来た。ここで通力を失えば、石はその粒子を結合する底知
れぬ親和力によって彼の手を押し潰すであろう。タロウは最後の力をふ
り絞ってゆっくりと手を横に動かした。石はあたかも流水のごとく、彼
の手の前で割れ、後方で閉じた。憔悴しながらも陶然と立ちつくすタロ
ウの肩に、ロブは手ずから紫の螺旋の紋を染めた飾り帯をかけた。タロ
ウは新たに修行の功を認められた一人として先輩修道僧たちの輪に加わ
った。
 信仰の証を済ませた若い修道僧たちは、石組みの炉の火を挟んで導師
と対座した。夜空からデュシャンがその光景を見下ろしていた。糸のよ
うに細い生命力の流れが幾筋かもつれながら一同の頭上に伸びた。タロ
ウは今では流れを見ることができる。年配の先達の話によれば、かつて
は大きな流れが空いっぱいにうねり、その絢爛たるありさまはさながら
錦織を拡げたようであったという。「われわれはサイベリアでどのよう
なことに出会うのですか?」修道僧の一人が尋ねた。ロブは流れに運ば
れて来る幻を見た者の一人である。
「幻化は瞬息の間」導師は答えた。「おまえたちはサイベリアに新しき
生を得る。転生の暁には、見るもの聞くことすべてもの珍しく、また不
可思議であろう」
「心に隙あらば狂気に取り憑かれるというのは真ですか?」別の一人が
尋ねた。
「その危険は常にある。おまえたちは試されよう。今あるままのおまえ
たちは、かくあらんと目指す存在を威服しなくてはならぬ。狂気は修行
の功を達せずして流れに乗る者のうちに宿る。意識が分裂して矛盾に悩
む者には用心せよ。悶着が起きた時はデュシャンの力を恃め」
「何と?」タロウははっと顔を上げた。「ならば、デュシャンはアート
を脱した先の世界にも存在するのですか?」
「紫の螺旋をしるしに尋ねるがいい」ロブは言った。「しるしの下に信
徒は群衆する。群衆は同類。おまえたちの頼るべき力の源と知れ」
「その群衆がサイベリアの魔法を教えてくれるのですか?」もう一人が
尋ねた。
「サイベリアのことはサイベリアに学べ」
「不思議な法則について知ることができるでしょうか?」タロウは質問
を重ねた。「同じことを何度でも繰り返すからくりや、回る仕掛けにつ
いても?」
「おまえたちの考えもおよばぬ働きをするからくり仕掛けがいたるとこ
ろ無駄にある」
「いたるところ? ならば、サイベリアの魔法は世界にあまねく広まっ
ているのですか?」
「世界はおろか、世界の果てを越えた別の場所にも、またその間の虚空
にもだ。サイベリア人たちは、それらすべてをひっくるめたもう一つ大
きな世界を縦横に飛び回る」

 シスオペはうなずいた。「何はともあれ、彼らは実に非科学的だよ。
それはもう、話にならないくらいでね。科学的な思考能力に欠けるなど
というのとは次元が違う。物質世界を合理的に説明する科学の基本的な
概念がそっくり欠如している。宇宙を理解するのにまず必要な因果律や、
公理系の無矛盾性についてもまるで常識がない。どこか別の宇宙からや
って来たのではないかと思いたくなるほど彼らは精神構造が違っている
よ」
「例えば、具体的には?」
「六歳の子供でさえ知っているような、極く初歩的なことが彼らには理
解できないのだね」シスオペは乞われるままに話を続けた。「例えば、
物体は位置や方向が変わっても、形や大きさはもとのままだ。物の大き
さが朝と夜で変わることはない。同じ原因は常に同じ結果をもたらす‥
‥。いずれも常識に属することで、小さな子供だって当然のことと理解
している。ところが‥‥ああ、きみは彼らのことを何と呼んでいたっけ?」
「アート」

「宗派、教団によってその説くところはいろいろですが、よく調べてみ
ると、すべてに共通するいくつかの事柄が浮かび上がって来ます。いず
れの場合も、宗教の歴史は非常に古い時代に遡ります。人種や地域、文
化の歴史、その他もろもろの違いを超えて、古くから各地にアートが登
場しているのです。彼らに共通することの一つが先程から話に出ている
狐憑きのような突然の変貌です。この点に限っては誰の場合もみな同じ
でしてね、ある時を境にがらりと人が変わっています。価値観も世界観
も変わって、当然、生き方もそれまでとはまったく違います。まさに神
がかりになるのです」

 シスオペは険しい表情でスクリーンを睨んでいた。「あの信徒たちは
常軌を逸しているかもしれないがね。ただ、クリシュナ教徒とはわけが
違う」彼は半ばひとりごとのように言った。「何がどうなっているかは
わからないが、とにかく、彼らは命懸けだ」

 どこか意識の奥深くに発した霊感によって救世主タロウは行動の時は
今と判断した。すべからく人の崇拝を集める者は、識閾下の無形の思考
と直観をもって時節、機運を察知し、それを間然するところない明快な
形で意識の表層に掬い上げなくてはならない。その過程は、コンピュー
タ内部で瞬息の間に処理された複雑高度な演算の結果が流れるようにス
クリーンに表示されるさまに似ていないでもない。
 ロブを失って、アート教は組織にひびが入ったのみか、早くも四分五
裂の兆しを見せていた。教徒らは深刻な懐疑に悩んだ。覇を競う他の宗
派の指導者たちは事件についてそれぞれに異なる解釈を示し、彼ら残さ
れた信者を己が宗門に誘い込もうと躍起だった。ロブ暗殺は対立する宗
派の見え透いた妨害工作であるとして事件を黙視する立場がある一方、
その対極に、これこそは日常の体験の範囲を超えたところで働く絶対者
の力の顕示に相違ないとする見方があった。アート教の最高指導者がそ
の力に対してまったく抵抗の術もなかったとすれば、そもそもアート教
の説く教義に何ほどのものがあるのか、はなはだ疑問ではないか。
 そんなわけで、タロウが一人ほくそえんだのは無理からぬことだった。
彼の取った手段は不正のそしりを免れないとしても、目標達成に向けて
信者たちに心の備えを促すにはどうしても、あっと驚く見せ場がなくて
はならなかった。ロブ暗殺は、いわば状況のしからしめるところ、必要
欠くべからざる偽装工作だったのだ。アクティブアートシステム復活の
暁には、タロウはそのような小細工を弄することもない絶対の力を手に
するはずである。
 タロウは、アクティブアートシステムを作り上げている複雑な仕組の
中に人知を超えた力に通じるチャンネルがあり、自身システムと血縁で
ある故にその力を自在に操ることができると堅く信じていた。いや、そ
れどころか、自分はその力を体現する存在であるとさえ思っている。す
なわち、タロウはアクティブアートシステムがその機構の内に生じた霊
験によって自らを解放し、外界に拡張する手段を象徴する人格であり、
絶対者の化身である。
 アクティブアートシステムがいかにして自らを解放するか、その正確
な過程をタロウは知らない。システムの細かい技術については若い弟子
たちに任せきりである。タロウは若年の頃、ほんの一時期ながら精神に
錯乱を来たしたことがある。立ち直った時にはそれ以前の記憶をいっさ
い失っていた。が、彼は自分がその喪失を補う特異な能力を授かったこ
とに気付いた。ニューロカプラーを介してアクティブアートシステムと
対話すると、普通の耳では聞こえないシステム深奥の声を聞くことがで
きたのである。ほかにもそのような耳を持つ者がいないではなかったが、
極めて稀だった。タロウは憑き物がしたような自分の変貌のことを周囲
から聞かされ、自身の本然の姿を求めてあれこれ調べるうちに、同じよ
うにある時を境に人格が変わった者がいることを知った。その種の人物
を世間では「アーティスト」と言っていた。一部のアーティストは自分
の閲歴を公言して霊感を受けた聖人と崇められ、あるいは狂人と蔑まれ
た。一方、その体験を胸ひとつにおさめている者もまた少なくなかった。
が、それはともかく、極く単純な模式図の域を出ない世界像を描くだけ
で精いっぱいの、無知蒙昧な常人の理解を超えた異次元の世界の記憶を
持っている点でアーティストたちは共通の体験を分かち合っていると思
われた。

 タロウは、ヴァン・ゴッホ、ニーチェ、ロレンス、ニジンスキーなど
と同じ孤高の境地である。人は誰しも生まれながらにして霊的な感応力
をその身に秘めているのだが、それは現代社会の合理主義に封じられて
閃きを放つことができない、と彼は言う。外界ばかりに気を奪われ、真
理の発見と霊の救済に至る手段として科学を九天の高みにまつり上げた
人間は心をどこかに置き忘れて道を踏み誤っている。ひたすら理性のみ
を崇拝する風潮は鼻持ちならない。アリストパネスがソクラテスを嘲り、
神秘詩人ウィリアム・ブレークがニュートンを嫌悪したのも同じ理由か
らである。