title:アンフィオニイ批評6 ver.1.0j
木村応水 作
1997


『パソコン通信「暗黙のご了解」事典』 omimi著
ACT121
 まずは、アメリカのお話。アメリカでは、著作権の売買が盛んです。
 たとえば、「私は『パソコン通信 暗黙のご了解事典』という本を書
いた。絶対に面白く、爆発的に売れる本だから版権を買ってはくれまい
か」とブローカーに話を持ち掛けるわけです。そしたらブローカーは、
「うむ。これなら$1,000で買い取ろう」なんて答えて取り引きが成立。
んで、その版権をブローカーは出版社に、「これは面白く、絶対に売れ
る本だから、版権を$10,000で買わないか?」‥‥といった具合に、
ビジネスが進んでいきます(もちろん、例なので、内容はかなりいいか
げんですが、雰囲気だけつかんでください)。つまり「著作権」とは
「利権」なのです。
 さて、日本では‥‥。日本では「著作権法」によって、「著作権は作
者に帰属する」と定義しています。簡単にいうと、「アメリカみたいに
著作権は売れないよ」というわけです。「なにか作ったら、それによる
利益は作った人がもらう」という形で、とても素直な法律に感じます。
 で、その著作物とはなにか、ですが‥‥。詳しく話すと面倒なので、
ネットワーク上での話しに限定しましょうか。
 会議室の発言、メール、ライブラリに発表したソフトウエアや各種デ
ータ‥‥、すべて「著作物」として扱われます。つまり、それらのどれ
かでも、商業利用されたならば、あなたはなにがしかの利益を受け取る
ことができるのです。
 もちろん、「盗作・乱用などで、その利益を奪うのは違法だ」という
のは、いうまでもないですよね。

 以上が基本概念。ちょっと乱暴な書き方をしたので、「会議室の発言
を読んで、その間の利用料金でニフティは稼いでいるから、私にも利益
をよこせ」なんて思う人がいたりして。
 実際には、「発言・メール・データなどはタダで提供されている」と
考えるべきでしょう。ニフティに払っているのは、施設などの利用料金
であって、著作権の利用料金ではないのです。もし、それらの中に対価
を求めるべきものがあれば、それらは「シェアウエア・シェアテキスト」
などの形で、代金を支払うのです。
 それより問題なのは最後の、「著作物の利益を奪うのは違法だ」とい
ところです。利益というのは、なにもお金ばかりでなく、「自分の著作
物だと主張する権利」「著作物を改変されない権利」なども含まれます。
 そこで問題になってくるのが「引用と転載」の違いです。「他人の著
作物の一部または全部を、自分の著作物の中に挿入する」という部分で
は、引用と転載は一緒です。このあたりの区別は、非常に難しいのです
が‥‥。
 そもそも引用とはなんでしょう。「自分の著作物をより確かなものと
するための資料として、他人の著作物の一部を使用すること」といえま
す。つまり、「引用された部分だけでは、著作物となり得ないとき」に、
それは「引用」であるといえます。ところが、「引用」したつもりでも、
その部分が「著作物」となってしまう要件を満たしていたら、「転載」
ということになります。
 転載となれば、当然「転載された部分」に対する著作権が発生します。
そこで「転載許諾」を受けなければなりません。もし、許諾を得なかっ
たら、「自分の著作物を勝手に使用した」として、違法行為になります。
もちろん、転載させる、させないはあなたの権利ですから、転載を拒否
することもできるわけです。
 ところが、批評など引用がなければ成立しないジャンルもあります。
著作権を厳密に扱うと、批評なんてものは成立しなくなります。そこで、
「引用は拒否できないもの」ということになっています。

ACT122
 著作権って、その考えが浸透していないこともあり、とても難しい印
象があります。実は私も、出版業界なんて著作権の最前線で、ライター
という著作権を所有する職業のわりに、著作権に対する知識というのは、
まだまだです。
 ただ、ひとついえるのは、「私達のモラルがすべて」だということ。
逆にいうと、「いかに他人の著作物を尊重するか」ですね。
 以前私のかかわった本で、「オレのフリーソフトウエアが勝手に紹介
されている」と、フリーソフトウエアの作家サン達が蜂起する、という
ことがありました。たまたま私の原稿の部分では、ちゃんと紹介の依頼
を出しており、ことなきを得ましたが、厳密にいうと、そんな文句をい
われる筋合はないのです。
 私としても、フリーソフトウエアの作家さんたちの功績を称える意味
を込めて、紹介させていただいているのですし、当然発表された「著作
物」を批評などの対象として「引用」できることが、認められています。
 それがなぜ、悪いことのようにいわれなければならないのでしょうか?
 ‥‥とは、思いませんでしたけどね、私は。
 所詮パソコン通信は、内輪のコミュニティ、「紹介したなら紹介した
で、一言いってくれてもいいじゃないの、もう水くさいんだからあ」
てな感じなのでしょう。それもまあ、法律以前の「人間としての常識」
が問題なのですね。
 だから、著作権がなんだかんだと悩まないでください。法律に対する
知識は、おいおい理解していけばいいのです。モラルさえ守っていれば、
無用のトラブルは避けられます。たとえ問題が発生したとしても、「ご
めんなさい」の一言ですむ場合がほとんどです。
 パソコン通信も、いわゆるひとつの人間社会なのですから。

ACT123
著作権の話で、どうしても話しておきたいのが、音楽著作権の問題。
コレ、ホントに頭にくる問題を抱えているんですよ。
 著作物の中でも、音楽関連だけは特別で、音楽著作権協会(JASRAC)
が一元に管理しています。ラジオなどでかかる曲をすべてカウントして、
曲名がわからない場合は、放送局まで電話して聞く、という話ですから、
その姿勢は徹底しています。
 そのJASRACの見解は、「音楽の引用は一切認めない」というもので
す。
 たとえば、「94年の最高傑作は、EAST END×YURIの『DA-YO-NE』
DA-YO-NE」という文章があったとします。末尾の「DA-YO-NE」は「だよ
ね」と歌詞の一部をかけている、つまり、歌詞の一部を利用しているわ
けです。JASRACは、引用を認めていませんから、たった3音(半角で8
文字ですが)にも、著作権使用料を要求するのです。
 これって、おかしいと思いませんか?
 著作権法で認められている「引用」が、協会独自の「規定」で認めら
れないなんて。それもまあ、ある程度は我慢しましょう。「音楽は乱用
される可能性が高く、それを防止するためだ」というような、正当な理
由があるのならば。
 しかし現実には、テレビなどのBGMに使われている音楽には、JASRAC
の監視外にあると聞きますし、その上、そうしてセコセコと集めた著作
権料が協会幹部に不正に利用されているとあっては、腹も立ちますよね?
 デスクトップミュージックが普及してきたこともあり、音楽データも、
画像データと同様にデータライブラリにアップされるようになってきま
した。その中には、MacやWindowsの警告音用の、ほんの1小節程度のも
のもあるのです。現在は、それらもJASRACの監視下に置かれ、NIFTY-Serve
などでは、登録するフォーラムも限定されています。実験という意味な
らば、それもしょうがないでしょう。しかし、これからどのような展開
になっていくのか、という話しは聞いたことがありません。ここまでく
ると、「誰もが情報を発信し、交換できるメディアをJASRACが拘束しよ
うとしている」としか理解できません。
 現在の音楽著作権に対する考え方は、どこか歪んでいます。多くの人
が疑問を抱いているに違いありません。どうか、善処していただきたい
と思います。