title:金髪のドミナ ver.1.0j
木村応水 作
1996


 『学問のすすめ』 福沢諭吉
 田舎の商人等、恐れながら外国の交易に志して横浜などへ来る者あ
れば、先ず外国人の骨格逞しきを見てこれに驚き、金の多きを見てこ
れに驚き、商館の洪大なるを驚き、蒸気船の速きに驚き、既に已に胆
を落として、追々この外国人に近づき取引するに及んでは、その掛引
のするどきに驚き、或いは無理なる理屈を言い掛けらるることあれば
ただに驚くのみならず、その威力に震いおそれて、無理と知りながら
大なる損亡を受け大なる恥辱を蒙ることあり。こは一人の損亡に非ず、
一国の損亡なり。一人の恥辱に非ず一国の恥辱なり。実に馬鹿らしき
ようなれども、先祖代々独立の気を吸わざる町人根性、武士にはくる
しめられ、裁判所には叱られ、一人扶持取る足軽に逢っても御旦那様
と崇めし魂は腹の底まで腐れ付き、一朝一夕に洗うべからず。かかる
臆病神の手下共が、かの大胆不敵なる外国人に逢って、胆をぬかるる
は無理ならぬことなり。


 『火宅の人』 壇一雄
「ビール、プリーズ」
と気どって注文してみたが、いつまでたっても、肝心のビールは運ば
れてこない。ようやく給仕女が皿を抱えてきたと思ったら、子牛のカ
ツレツだ。今更、ビールを頼み直す気がしないから、そのヴィール・
カツレツをガツガツ食べ終わって店を出た。


 『二つの風景』 ヨーンゾン
「日本人(ヤパーナ)ってなんですの」とDは質問したが、そのとき
彼女の注意は階段室の足音に向けられていた。日本人(ヤパーナ)と
いうのはリヤカーのことだった。


 『アモク』 ツヴァイク
 あなたは熱帯地方でおくらしになったことがありません‥‥。です
から、こういった黄色い肌のごろつきが、白い肌をした(だんなさま)
の自転車をひっつかみ(だんなさま)に、ここにいろなどと命令する
のが、どんなにずうずうしいふるまいであるか、ご存じないでしょう。
なにかひとことでも返答するかわりに、相手の顔を私はげんこつでな
ぐりつけました‥‥よろめきはしましたが、それでも自転車はしっか
りつかんだままです。その両の目が、ほそい、おじけづいたふたつの
目が、大きく見ひらかれて、奴隷のような不安の色をうかべていまし
た‥‥しかし彼はハンドルをつかんで、悪魔のようににぎりしめてい
ます‥‥(あなたここにのこるのです)と、もういちど口ごもりなが
らいいました。さいわいなことにそのとき私は、ピストルをもってい
ませんでした。ピストルでもあろうものなら、うち殺してしまったで
しょう。『どけ、ちくしょうめ!』と、私はいっただけでした。相手
は頭をさげ首をすくめて私を見つめていましたが、ハンドルだけはは
なそうとしません。もう一発、脳天にくらわせましたが、まだそれで
もはなしません。こうなると私もたけり狂ってしまいました。女がも
う行ってしまい、たぶんもう逃げおおせてしまったのがわかったので
す‥‥あごの下に、本格的なアッパーカットをくらわせると、男はき
りきりまいをしてたおれました。また自転車をとりもどしたのです‥
‥しかし、とびのってみると、車ははしりません‥‥むしゃくしゃに
ひっぱりあったために、輻(や)がひんまがっていたのです‥‥。熱
病のような手で、それをまっすぐになおそうとしました‥‥。うまく
いきません‥‥で、自転車を道ばたのごろつきのとなりになげだしま
した。ごろつきは、血まみれになって立ちあがり、それを横によけま
した‥‥。それから、いや、あなたには、どんなにこっけいなことだ
かおわかりにならないでしょう、おおぜいの目のまえで、ヨーロッパ
人ともあるものが‥‥というのも、私にはもう、自分がなにをしてい
るのかわからなかったのです‥‥私にはただひとつの考えしかありま
せんでした、あの女を追いかけるのだ、あの女に追いつくのだと‥‥
で、ヨーロッパ人の私が、はしったのです、気ちがいのように街道を
はしり、あばら屋のならんだところをはしってすぎたのです。そこで
は、黄色い肌の賤民どもが、仰天しながら身をのりだして、白い男が、
先生がはしってゆくのをながめていました。」


 『血の記憶』 マーサ・グレアム
 私が色黒で風変わりな風貌をしていて、どこか東洋人っぽかったか
らだろうか、ミス・ルースは私を日本人の少年として通用させようと
した。私はミス・ルースの、日本の華道をめぐって展開するダンスに
加わっていた。彼女はそれを気に入ってくれて、私をデニショーンの
新人、「東洋人の少年」として売り出すことに決めた。そのころはも
う子供の体形ではなくなっていた私を、ミス・ルースは少年の体形に
締めようとした。私は、「でもミス・ルース、胸はどうするんですか」
と言った。答えはなかった。私の母がこのことを耳にすると、母は断
固反対した。母はミス・ルースに、「マーサは日本の男の子なんかに
似ていません!」と言った。


 『遅すぎた夏』 ルードルフ・ハーゲンシュタンゲ
 勤勉で小太りした日本人は、わたしたちなら絶望してしまうかもし
れないような神秘的なカオスのなかで、入念さや秩序や完璧さをもと
める魔法使いの小僧か、魔術使いの親分のようにみえました。

 ナハルティガルさんのいうには、日本人はけっして思索家ではあり
ませんが、生来、限定された枠内で最大の勝利を祝うすぐれた芸術家
だということです。このことをわたしはかけ値なしに信じます。彼ら
が二本の菊と一本の松の皮からひと束の《花束》をつくりあげ、きわ
めて小さな庭園に二つか三つの石を配して輪郭を与え、木組みの線構
成でほとんど《家具のない》部屋にもまったく繊細な美的効果を生み
だすさまは、《ポエジー》全体に対する特別の天分を推測させます。
ともあれ、日本にはわたしにとって発見すべきことが山ほどあるよう
に思われます。そして、一般にもいわれるとおり、またわたし自身も
すでにときどき気がついたのですが、ここでもアメリカからの舶来の
画一的な文明がますます個性を押しのけつつあるので、もしかすると、
いまこそ日本を知る最後のチャンスであるかもしれないのです。

 日本人は、ぼくの愛する同国人たちよりよい人間だとはおそらくい
えまい。天候にしたところでまったくきまぐれだし、灼熱の太陽は、
彼らがひたすらに望んだがために、国旗のなかだけにあるにすぎない。
彼らは働きすぎるほど働く、ぼくたち以上だ。彼らはぼくたち以上に
権力を信じやすいし、個人主義からははるかに遠い。しかし、彼らが
キリスト教の西欧よりまさっていることがひとつある。そのことのた
めに、新しくはじめようとするものにとってはよい国でもあるのだ。
そのひとつというのは、彼らが原罪ということを知らないことだ。


 『菊と刀』 ルース・ベネディクト
 日本の閉ざされた門戸が開放されて以来七十五年の間に日本人につ
いて書かれた記述には、世界のどの国民についてもかつて用いられた
ことのないほど奇怪至極な「しかしまた」の連発が見られる。まじめ
な観察者が日本人以外の他の国民について書く時、そしてその国民が
類例のないくらい礼儀正しい国民であるという時、「しかしまた彼ら
は不遜で尊大である」とつけ加えることはめったにない。ある国の人
びとがこの上なく固陋であるという時、「しかしまた彼らはどんな新
奇な事柄にも容易に順応する」とつけ加えはしない。ある国民が従順
であるという時、同時にまた彼らは上からの統制になかなか従わない、
と説明したりはしない。彼らが忠実で寛容であるという時、「しかし
また彼らは不忠実で意地悪である」と言いはしない。彼らが真に勇敢
であるという時、その臆病さ加減を述べたてることはない。彼らが他
人の評判を気にかけて行動するという時、それにひき続いて、彼らは
本当に恐ろしい良心をもっていると言いはしない。彼らの軍隊のロボ
ットのような訓練ぶりを描写する時、それに続けて、その軍隊の兵士
たちがなかなか命令に服さず、公然と反抗する場合さえあることを述
べるようなことはない。西欧の学問に熱中する国民について述べる時、
同時にまた彼らの熱烈な保守主義についてくわしく記すことはない。
美を愛好し、俳優や芸術家を尊敬し、菊作りに秘術を尽くす国民に関
する本を書く時、同じ国民が刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する事
実を述べた、もう一冊の本によってそれを補わなければならないとい
うようなことは、普通はないことである。


 『日本の天職』 内村鑑三
 私はこここに日本人の美術、工芸、文学において語るの時を待たな
い。そのいずれも優秀なるものたるは言うを待たない。北斎は世界的
美術家であると言い、近松、馬琴をして欧州に生まれしむれば、確か
にシュークスピア、ウオルター・スコットたり得たと言う。日本人の
天才に驚くべき者がある。ただ悲しむべきは独創性の欠乏である。日
本人は新たに思想を起こし得ない。彼らは改良家であって独創家でな
い。天然を描くには巧みであるが、進んで大胆に天然を探り出す能に
乏しい。日本の美術文学に偉大たるの可能性を認むるが、いまだその
偉大そのものを見ることはできない。
 日本人は特別にいかなる民であるか。私は答えて言う、宗教の民で
あると。かく言いて、私は私の田に水を引き入れんとするのではない。
日本の歴史と日本人の性質を考えてみて、かく言わざるを得ないので
ある。人は明治大正の日本人を見て、私のこの提言を全然理由なきを
唱うるであろうが、しかし、それは間違っている。国民の歴史におい
て七十年は短き時期である。明治大正の物質的文明は、日本にとり一
時的現象であった。あたかも人の一生に生意気時代があるがごとくに、
明治大正は日本の生意気時代であった。そしてこの時代は今や終わら
としている。日本は今や自己に目覚めんとしている。武をもって鳴り、
商業工業をもって世界に大ならんと欲せし事の、全然おのが性質に適
(かな)わざることを悟りつつある。そして外の出来事が内の覚醒を
助けつつある。日本人は英国人のような商売人にあらず、また米国人
のような、肉と物とにあこがれる民にあらざることに目覚めつつある。
日本人は英米人とは全く質の異なった民である。ここに彼らの天職が
あり、偉大なる所があると信ずる。


 『ゴッホの手紙』 ヴァン・ゴッホ
〈お菊さん〉を読んだことがあるかい。それによると、本当の日本人
は壁にはなんにも掛けないらしい、僧庵やお堂には書があるだけで何
一つない、『素描と骨董は引き出しのなかに隠してある』 ああ!
 こうやって日本美術を鑑賞しなくちゃ、見晴らしの利く、なんにも
ない、明るい室で。


 『金枝篇』 フレイザー
 芸術の発達、科学の発達、そして自由な見解の拡張として自らを啓
示する知的発展は、産業的あるいは経済的発展から独立することはで
きず、それは更に征服と帝国主義から不断の刺激を受けている。人間
の心の働きの最も熱烈な爆発が勝利の直後におこり、世界における最
も偉大な征服的民族が多くは戦時に加えた傷を平和の時代に癒しなが
ら、文化の進歩と拡張のために最大の奉仕をするのは決して単なる遇
然ではない。バビロニア人、ギリシャ人、ローマ人、アラブ人などは、
過去におけるその証人である。われわれは日本における同様な爆発を
今日みている。


 『終わらなかった旅』 シヴァ・ナイポール
 気休めに細い桜の木が植えられた街路は二つの気晴ししか提供して
くれなかった。真向かいに中年をすぎた精神異常者が住んでいた。時
どきこの気の狂った男はガタガタと押し上げ窓を開けるのだった。両
腕を振りまわし跳びはねながら、夏の陽光に向かって儀式的な呪詛を
絶叫したのである。「黄色い糞ったれども。いまいましい黄色い糞っ
たれどもめが!」オーストラリアへ来て以来わたしはこの男、この前
の大戦中に日本軍の捕虜となったのだ、を新たな目で見るようになっ
た。
「わしとあんたは逆の側におった」とロバートは言った。
「そうですね」とわたしは言った。わたしは彼については何も知らな
かったし、彼がたくさんあった向こう側のうちのどれに属していたの
だろうとそれでかまわないと考えた。
「わしは有色人種の側になった」と彼は言った。「わしは日本人と一
緒だった」
「ははあ」とわたしは言った。
「われわれはあんたがたを必要とし、あんたがたはわれわれを必要と
していた」とそこで彼が言ったのは、第二次世界大戦当時のドイツと
日本の同盟のことだろう。「ただあんたがたが言ってることでわしら
に納得できないことが多すぎた」
「そうでしょう」とわたしは言った。
「つまりあんたは、有色人種はあまり優秀ではないと言ったそうだが」
とロバートは言った。
「まあ、まあ」とジョーンズがなだめるように言った。「われわれど
うしで言いあいなどしていったい何になるのじゃ? 力を合わせにゃ
ならん時じゃのに」
「わしはただあんたに言っとることをこっちにも言っとこうとしただ
けだ」とロバートは言った。「わしはこちらの尊士に毎朝言うとるこ
を、今ここであんたに言っとくぞ。わしは尊士に毎朝あったかいおか
ゆを出し、それから言うのだ、《有色人種はやがて正義の怒りに燃え
て立ちあがり、やがて世界を征服するぞ。白人は最後には負けるぞ!》
とな」
「わかった、ロバート」とジョーンズは静かな声で言った。
「有色人種は自分たちの手で水素爆弾を作るようになる」と彼は言っ
た。
「もう今作っとる最中だ。今度は日本が水爆を落とす番だぞ。有色人
種は最初の水爆を落とす名誉を日本にあずけた」


 『ろばに乗った英雄』 ミオドラグ・プラトーヴィッチ
「一見したところでは、向こうの奴らはまだ降伏する気はないように
見える。奴らは依然として、モンテネグロ人は歴史はじまって以来一
度も手を挙げてしまったことや敵の前にひざまずいたことはないと頑
張りつづけている。いわんや向こう岸の蛙食い(蛙食いというのはヨ
ーロッパ一般でイタリア人をからかっていう言葉であり、モンテネグ
ロ人はアドリア海をへだててイタリアと対する)の足もとなんだぞ、
モンテネグロ人はいくら何でもそこまでは堕落しないと奴らは言うん
だ」
「きみはそれに対してどう答えた?」
「ふん、きみはそれがわからんと言うつもりか! おれがそういった
ことにどう反応するかは、ヴェネツイア師団じゅうに知れわたってる
よ。奴らはときの声をあげて突撃して来る。しかしおれは、その喊声
がしずまるのを待ってどなりかえしてやるんだ、〈まず第一に蛙って
ものがどんなものか知らなくちゃならんぞ〉ってな。そう言いながら
ここで一人、あちらで一人と張り倒してやるんだ。だがこれは言っと
かなくちゃならんが、奴らには勇気があるぜ。その点では歴史作者や
紀行文家は正しい。奴ら自身の詩人たちが書いてることをおれは今ま
で一度も信じたことはなかったが、しかしそれは事実だよ。モンテネ
グロ人はまさに戦死することを欲するんだ。日本人と同じだよ。死は
奴らにとっては聖なる行為なんだ」
「奴らが日本人ほど多くないのはわれわれにとって幸せだな」と大佐
は言った。


 『墓に唾をかけろ』 ボリス・ヴィアン
 あの弟はおれよりももっと肌が白かった。もっとも、おれ自身だって、
ずいぶんと肌が白いので、それ以上白くなることが可能だったらの話だ
が。アンヌ・モランの父は、弟が彼の娘を口説き、一緒に外出している
というのを聞くとぐずぐずしてはいなかった。弟は一度も町を去ったこ
とはないのだ。おれの方は10年以上も離れていた。そしておれの素性
を知らない人間たちとつきあっていた間に、おれはあのいやらしい、卑
屈さから自由になれたのだ。そう、白人たちのおかげで、徐々に、まる
で反射作用のようにおれたちのうちにしみ込んでしまっていたあの卑屈
さ。そしてさらにはおれの兄弟の黒人たちに白人の足音が聞こえるとた
ちまち姿を隠すようにさせるあの激しい恐怖感。そういうものからおれ
は自由になったのだ。白人と同じ肌をしていれば、こちらの勝ちなのだ。
というのは、白人たちなんていうのは実にお喋りで、同類と思い込んで
いる者の前ではつい本当のことを言ってしまうのだ。


 『法の精神』 モンテスキュー
 もし、私が、黒人を奴隷とすることについてわれわれがもっていた権
利を擁護しなければならないとしたら、私は次のように述べることにな
るであろう。
ヨーロッパの諸民族はアメリカの諸民族を絶滅させてしまったので、あ
れほどの広い土地を開拓するのに役立たせるため、アフリカの諸民族を
奴隷身分におかなければならなかったのである。
砂糖を産する植物を奴隷に栽培させるのでなかったら、砂糖はあまりに
も高価なものとなるであろう。
現に問題となっている連中は、足の先から頭の先まで真っ黒である。そ
して、彼らは、同情してやるのもほとんど不可能なほどぺしゃんこの鼻
の持ち主である。極めて英明なる存在である神が、こんなにも真っ黒な
肉体のうちに、魂を、それも善良なる魂を宿らせた、という考えに同調
することはできない。
人間性の本質を形成するのは色であるという考え方は非常に自然であり、
このゆえに、宦官を作り出しているアジアの諸民族は、黒人とわれわれ
との間にあるより顕著な類似点を、常に除去してしまうほどである。
人は皮膚の色を髪の色から判断しうる。世界の最良の哲学者たるエジプ
ト人のもとにおいて、髪の色は非常に重大な意味をもっていたのであっ
て、彼らは、彼らの手中におちた赤毛の人間をすべて死刑に処した。
黒人が常識を持っていないことの証明は、文明化された諸国民のもとで
あんなに大きな重要性をもっている金よりも、ガラス製の首飾りを珍重
するところに示されている。
われわれがこうした連中を人間であると想定するようなことは不可能で
ある。なぜなら、われわれが彼らを人間だと想定するようなことをすれ
ば、人はだんだんわれわれ自身もキリスト教徒ではないと思うようにな
ってくるであろうから。気の小さい連中は、アフリカ人たちに対してな
されている不正をあまりに誇張している。というのは、もしこの不正が
彼らの言っているほどのものであるとしたら、おたがいの間であれほど
多くの無益な協定を作っているヨーロッパの諸君公の頭の中に、慈悲と
同情のために、これについて一般協定を作るという考えが浮かんだはず
ではなかろうか。


 『資本論』 マルクス
 一人の黒人を買った奴隷所有者にとっては、彼の黒人所有は、奴隷制
そのものによってではなく、商品の売買によって得られたものとして現
われる。


 『山椒魚戦争』 カレル・チャペック
 二か月後筆者は、サイゴンのフランス・ホテルでベラミー氏とチェス
を指していた。わたしはもはや臨時水夫などではなかった。
「ね、ベラミーさん」わたしはいった。「あなたはちゃんとした人間で
しょ。いうなれば、ジェントルマンでしょ。本質的に奴隷商売と同じこ
とをやっていて、いやじゃないんですか?」
ベラミーは肩をすくめて逃げた。「山椒魚は山椒魚だからね」
「二百年前は、黒んぼは黒んぼだからね、っていいましたぜ」
「まちがってましたかな? 王手!」
勝負は私の負けだった。その途端、このチェスの手がどれも昔ながらの
もので、いつか誰かがやっていたような気がした。われわれの指し手も
決して初めてのものではなく、その昔のと同じ敗北にいたることをも感
じた。
おそらく、同様に上品でものしずかなベラミー氏が、かつて象牙海岸で
黒人を狩り、ハイチやルイジアナに運ぶ途中、船倉でくたばるのにまか
せたのだろう。このベラミー氏は何も悪気があったわけではないのだ。
心はやさしいのだ。だからこそ手がつけられないのである。
「黒の負けだよ」ベラミーは得意そうにいってから、席を立つと伸びを
した。

 わたしは、第一回有尾目会議が科学的に大きな成果をあげたことを疑
うものではないが、一日の休暇を得たら、まっすぐ動物園のアンドリア
ス・シュイヒツエリの水槽へ赴いて、そっとささやいてやろうと考えて
いる。
「ね、山椒魚君、いつの日かきみの時代が来ても‥‥人間の精神生活を
科学的に研究しようなどと思いつかないでくれよ!」


 『正気の社会』 フロム
 科学小説が、科学の事実と同じになってしまい、悪夢や夢想とされた
ことがつぎの年にには実現する。人間は、自分の生活や社会生活を見通
したり、処理できるような決まった場所から投げだされてしまっている。
人間は、はじめに自分でつくった圧力にますます追いたてられている。
こういう狂気染みた精神の混乱の中で、人間は考え、計画し、抽象する
ことにいそがしく、ますます具体的な生活から遠ざかっていく。


 『残虐行為展覧会』 J.G.バラード
 流行の成り行きにしたがって、小児姦や獣姦といったかつては人気の
あった倒錯行為も、郊外の家の壁に据えつけられた陶製のあひるのよう
につまらない、人からばかにされるような使い古しになりさがってしま
うだろうね。


 『カサノヴァ回想録』 カサノヴァ
「快楽っていうのは、現在の感覚を楽しむことですよ。感覚の待ち構え
ているものに完全な満足を与えることですね。感覚が使いはたされて、
息をつくため、或いは疲労を癒すために休息を欲する時、快楽は想像力
になります。そうして、その想像力は、快楽によって得られた平静な状
態のうちにあって、快楽を考えることを喜ぶんです。ですから、哲学者
とは、どんな快楽をも拒まぬ人、苦労を段々に大きくしていったりしな
い人、しかもそれをつくりだすことを知っている人のことを言うんです」


 『痴人の愛』 谷崎潤一郎
 その時分、私の胸には失望と愛慕と、互に矛盾した二つのものが交る
交るせめぎ合っていました。自分が選択を誤ったこと、ナオミは自分の
期待したほど賢い女ではなかったこと、もうこの事実はいくら私のひい
き眼でも否むに由なく、彼女が他日立派な婦人になるであろうと云うよ
うな望みは、今となっては全く夢であったことを悟るようになったので
す。やっぱり育ちの悪い者は争われない、千束町の娘にはカフェの女給
が相当なのだ、柄にない教育を授けたところで何にもならない。私はし
みじみそう云うあきらめを抱くようになりました。が、同時に私は、一
方に於いてあきらめながら、一方ではますます強く彼女の肉体に惹きつ
けられていったのです。そうです、私は特に『肉体』と云います、なぜ
ならそれは彼女の皮膚や、歯や、唇や、髪や、瞳や、その他あらゆる姿
態の美しさであって、決してそこには精神的の何物もなかったのですか
ら。つまり彼女は頭脳の方では私の期待を裏切りながら、肉体の方では
いよいよますます理想通りに、いやそれ以上に、美しさを増して行った
のです。「馬鹿な女」「仕様のない奴だ」と、思えば思うほど尚意地悪
くその美しさに誘惑される。これは実に私に取って不幸な事でした。


 『アルラウネ』 エーヴェルス
 ヴォルフ・ゴントラムは、まるで影のように、愛するこの不思議な女
性に従っていた。彼女はいまでもヴォルフちゃんと、子供の頃と変わら
ぬ呼び方で彼を呼んだ。「ヴォルフちゃんなんて呼ぶのはね、あなたが
それくらい大きい犬だからよ」と彼女は説明した。「それくらいお人好
しで、愚かで、忠実な動物だからだわ。黒くて、房々と長い毛をし、と
ても美しく、そして、もの問いたげな深い目をしているからよ。そうな
の、人の後ろを追っかけて来て、何か小ちゃなハンドバックのたぐいを
届ける以外、あなたには何のとりえもないからよ」
彼女は、自分が座っている椅子の前に横になるよう彼に命じ、両足を軽
く彼の胸に置き、バックスキンの靴で彼の頬をなで、それからその靴を
ぬぎ捨てて、足の指先を彼の唇の間へねじ込んだ。
「接吻するのよ、接吻するのよ!」彼女は笑って言った。


 『作家の日記』 ドストエフスキー
 なるほど、気位は高いのだ! 私としちゃあ、ちょっと気位の高い女
というのが好きだ。気位が高いのが特にいいのは、その‥‥そう、そう
いう女に対して自分が優越していること疑いなしという場合だ。ええ、
どうだい? おお、下劣な、不器用な男よ! 私は何と満足していたこ
とか!


 『賭博者』 ドストエフスキー
「僕にとっては、あなたへの隷属が快楽なんです。たしかに、屈辱と無
価値もとことんまでゆくと、快楽があるんですよ!」わたしはうわごと
を言いつづけた。


 『告白』 ルソー
 女をわがものにした気持ちといえども、服に手をふれもしないで足も
とにいた二分間に、とうていおよばない。


 『毛皮を着たヴィーナス』 マゾッホ
 しばらくの間、私はほうけたように彼女の後姿を見送っている。それ
から、知らぬ間に手をすべり落ちていた彼女の毛皮を拾い上げる。毛皮
にはまだ彼女の肩のぬくもりが残っている。私はその場所にキスをする。
すると眼に涙がいっぱいにあふれてくるのである。