title:白痴 ver.3.0.1j
木村応水 作
1997


 『ろばに乗った英雄』 ミオドラグ・プラトーヴィッチ
「わたしはあいつにどんなふうに言ってやるべきかは全然わからないの
だ、あいつが大佐に昇進したこと、そして少佐たちのうちで一番‥‥。
わたしがそれを知らせてやったら、あいつは気がふれるか、あるいはす
でにあんなに気違いなんだから、窒息してしまうかもしれないよ。白痴!
阿呆! ボヘミアン! 小説気違いの馬鹿!」


 『アシスタント』 マラマッド
 彼はヘレンがなにを読んでいるのか尋ねた。
「『白痴』これ、知っている?」
「いいや。なにが書いてあるんだい?」
「長編小説よ」
「ぼくは真実の書いてあるものを読みたいね」と彼は言った。
「これが真実なのよ」


 『ニジンスキーの手記』 ニジンスキー
 私はドストエフスキーを読んだ。これは私にはやさしく、すぐのみ込
めた。文字通り、「のみ込んだ」のだ。私が『白痴』を読んで、『白痴』
は白痴でなく、よい人だと感じたからである。私は若すぎたので『白痴』
を理解できなかった。今はドストエフスキーの『白痴』を理解している。
なぜなら、私自身白痴と人に考えられているからだ。私はこの感覚が好
きなので、白痴のふりをする。神経質な人はすぐ気違いになる。だから
気違いが怖い。私は気違いではないし、ドストエフスキーの『白痴』も
『白痴』ではないのだ。


 『心理学的類型』 ユング
 ややもすると、外にあらわれた態度がいかにもぎこちなく、人目にた
つのをさけようとしてひどく用意周到なところがあるかとみれば、子供
らしい素朴さでいかにもおっとりとかまえていることもある。自分の専
門領域では強烈な反論をまきおこすが、これに対しては、内心にひそむ
原始的な激情にかられて、辛辣で不毛な論争にまきこまれる以外には、
傍若無人で横柄だと思われている。彼に対する判断は、その人柄を知る
ようになるにつれて、ますます好意的なものに代わってゆくし、身近な
人々にいたっては、親しみやすい彼の態度を非常に高く評価する。比較
的疎遠な人々にとっては無愛想で、近づきにくい、傲慢な人物に見える
し、ときによると、彼がいだいている非社交的な偏見のせいで、気むず
かし屋だと思われることもある。


 『万霊節の夜』 C.ウイリアムス
「勿論、あの男はポーズを取ってくれるわけじゃない。だからぼくは聖
バーソロミュー教会での一度の集会と、二、三の演説と、『ピクチャー・
ポスト』紙の七枚の写真、十余の日刊紙、その他の寄せ集めから、でき
るだけの事をやらねばならなかったんだ。ウオリングフォード夫人は、
先生は控え目な方だから、ポーズは取って下さらないのだと言う。それ
は勿論本当なんだろう。しかしぼくは、いざとなればこんな大まかなご
った混ぜからでも、かなりちゃんとしたものを引出してみせるさ。こん
な仕事は決まってうるさいし、今度は特に気を使ったけどね。彼の魂と
かなんとかを描こうとしたわけじゃない。ただペティの母親の気に入っ
もらえるだけうまくできればよいと思ったのだ。で、でき上ると、つく
づく見て考えたんだ。『ぼくが彼の何ものたるかを知らないのか、それ
とも彼が自分のいかなる羽目にあるかを知らないのだ』と。しかしアメ
リカ全土とイギリスの一部を心酔させた程の人なら自分がいかなる羽目
にあるかぐらい知りそうなものだろう? だからぼくが彼をすっかり捉
えそこなったに違いない。それにしてもおかしい気がするんだ。ぼくは
大抵なんでも多かれ少なかれ明確にさせおおせるんだが、この男は恐ろ
しく明確であり、同時に全く不明確、絶対的な達人で、同時に救いよう
のない白痴、であるみたいだ。」


 『帰れ、カリガリ博士』 ドナルド・バーセルミ
「カール、ぼくはバカだ」
「ウン」とカール。
「しかしぼくは白色のバカだ」とエドワードは突如言った。
「きみはたしかに美しいよ、エドワード」とカールが言った。「その通
りだ。ナイス・ルックだ。きみの外観はいい」
「ちぇ、何言ってるんだ」とエドワードはしょげたように言った。「き
みはじつに言葉づかいがうまい」と彼は言った。
「ぼくはそれに気づいている」
「その理由は」とカール、「ぼくは読書するからだ」


 『愛の錬金術』 ラジネーシ
 昔、皇帝たちは自分の宮廷にかならず賢人ひとりと、そしてバカをひ
とり召しかかえていた。おかしな話に思えよう。賢者は必要だが、なぜ
バカが? それはバランスをもたらすためだった。さもなければ宮廷が
アンバランスになる。そしてこれはうまいやり方だった。
 こんなことが起こったことがある・・・・、
ひとりの偉大な王者がいた。彼には賢者がいたがバカはいなかった。そ
してものごとはうまくいっていなかった。そこで人をやって捜させ、完
全なバカである人をひとり見つけた。完全というのは稀なことだ。完全
な賢者を見つけるのもむつかしいが、完全なバカをみつけるのはそれ以
上むつかしい。が、完全さというのは、それがどこにあるものであれ美
しい。完全なバカにさえ、あなたには挑戦することのできない特質があ
る。完全という質が。
 完全ということの内には独自の美があり、それが優雅さをもたらす。
もし完全なバカとは何であるかを見たかったから、ドストエフスキーの
小説『白痴』を読むがいい。
 さて、完全なバカを見つかったというので、王は彼にほんとうに価値
があるものかどうかをテストしようと思った。そこで王は彼に言った。
「余の宮廷の中で一番の愚か者を十人選んで、そのリストを作ってみて
くれ。」
宮廷には百人あまりの人が仕えていた、「十人のリストを作ってそれに
順序をつけるのだ。最高のバカ者が一番目、次の愚か者が二番目という
ふうにだ。」
 このために七日間の猶予が与えられた。七日目の日、王は訊ねた。
「リストはできたかね?」
バカは言った。
「できました。」
王は好奇心で一杯になって訊いた。
「誰が一番目だ?」
するとバカは言った。
「あなた!」
これを聞くと王は気を悪くして言った。
「なぜだ? おまえの説明を聞かねばなるまい。」
バカは言った。
「昨日までは、ほんとうに昨日までは私は一番目に誰も入れていなかっ
たのです・・・・。王様は大臣の一人に何百万ルピーも渡して、ダイヤ
モンドや真珠やらの宝石を買いに遠国へつかわしたでしょう? はっき
り言いますが、あの男は絶対に戻ってきませんよ。王様は彼を信頼なさ
った。あなたはバカです。バカだけが、愚か者だけが信頼するんですか
ら。
王は言った。
「わかった。ではもしあの大臣が戻ってきたら?」
バカは言う。
「戻ってきたら、そのときにはあなたの名前を消してその大臣の名前を
代わりに書きます。

 昔の宮廷では、バカはなくてはならない存在だった。彼がバランスを
もたらしていた。あなたの一生は、バランスを保つための絶えまない努
力だ。もしひとつの方向に進み過ぎたら、バランスは失われて病気や不
安とはバランスが失われているということだ。
 “不安(安すからず)”の言葉自体、安定のないことを意味している。
このゆえに、もしあなたの過去が醜悪だったら、それが長い苦しみ、う
んざりするような退屈そのもののような過去だったら、あなたはそのバ
ランスをどうやっとるんだね? あなたはどうしてもバランスを保たな
ければならない。さもなければ狂ってしまう。
 あなたはそのバランスを美しい未来によってとる。あなたは未来にロ
マンチックな絵を描く。それがバランスをもたらす。


 『フランス革命についての省察』 バーク
 責任制からえられるものは、まずしい奉仕である。恐怖からひきださ
れるべき心の高揚は、けっして、国家を光栄あるものとしないであろう。
責任制は、犯罪を阻止する。それは、法に反するすべてのくわだてを、
危険なものとする。しかし、積極的で熱心な奉仕について考えることが
できるのは、白痴だけである。


 『詩人と狂人達』 チェスタトン
「ぼくが発狂したのではないかとあなたが最初に思ったのは、どうして
ですか?」
「ええと」ガースはゆっくり言った。「たしか、きみが窓から嵐を眺め
ているときだったよ」
「嵐ですって? 嵐があったのですか?」ゲイルはぼんやりした様子で
訊いた。「なるほど、そうか、そういえばあったな」
「いい加減にしたまえ」と医者。「嵐以外に一体何を眺めていたという
んだ」
「窓からおもてを眺めていたんじゃない」とゲイルの答え。
「よくもそんなことを」とガース博士が咎める。
「ぼくは窓を眺めていたのです」と詩人。「ぼくはよく窓を眺めるんで
す。ステンドグラスでないかぎり、窓を眺める人は非常に少ないのです
が、ガラスというやつはダイヤモンドみたいにとても美しい、透明さと
はいわば超越的な色彩なのです。それに特にある場合には別の要素があ
りました。雷雨なんかより遥かに恐ろしく身の毛もよだつようなものが
あったのです」
「雷雨より恐ろしいものだなんて、一体きみは何を眺めていたのかね?」
「窓ガラスを伝って落ちるふた粒の雨粒を見ていたのです」とゲイルは
答えた。「ソーンダースも同じものを見ていました」
二人の眼がじっと自分に注がれているのを見ながら、ゲイルは話し続け
た。「これはまったく本当なのです。詩人も言ってるじゃありませんか
・・・・」と前置きして、いつになく荘厳な調子で暗誦しはじめた。

 ちいさき水の滴
 ちいさき砂の粒
 そは魂をぐらつかせ
 星粒ども揺れ動く


 『石灰工場』 トーマス・ベルンハルト
 卓越した聴力も視力もすぐ気がおかしいという烙印を押されるに決ま
っています。今は卓越した聴力や視力の持ち主も必要ではなく、聴力や
視力が卓越していたりすると、その人は排除されたり、閉じ込められた
り、隔離され、監禁と隔離によってだめにされてしまうのです。社会と
いうものはいわゆる精神病者を遠ざけることによって天才的な思いつき
を遠ざけるのです。社会は空らな酔生夢死のためにしかないのですよ。
人々はそっとしておいてくれることを望み、聴覚と脳ほど煩わしいもの
はないと思っているのです。完全な聾で頭の悪い大衆が理想なんだろう
な。だから社会は聴覚も頭脳もやっつけ、聴覚や頭脳が現われると、頭
脳があると言ってはやっつけ、聴覚があると言ってはやっつける。人類
は存在する限り、ますます費用のかかるものすごい、反聴覚、反頭脳の
キャンペーンを行なうんだ。そうじゃないというのはみな嘘にほかなら
ない。聴覚と頭脳が歴史の中ではいつだって死へと駆り立てられ、やっ
つけられるというのは歴史の証明するところだよ。どこを見ても聴覚と
頭脳の死屍累々だ、とコンラートはヴィーザーに言ったという。


 『アウトサイダー』 コリン・ウイルソン
 自然は、ゴッホが自己のうちに見えるものを反映する。ゴッホがそこ
に何ものも見なければ、彼の絵は、異様に光りかがやく写真とでもいう
べき写実的な習作となる。が、それ以外の場合には、言葉では表現でき
ぬヴィジョンを彼の絵は表現する。それは、言葉とは別の方向をとるも
のであるがゆえに表現不能なのだ。言葉は水平面であり、これは鉛直面
なのだ。これら二つの平面の交切点は、(エックハルトの言葉を借りて)
「存在(イズ)そのもの」と呼ぶ以外に呼びようがない。


 『ゴッホの手紙』 ヴァン・ゴッホ
 絵画の方が詩よりも汚くて厄介だ、それにしても僕はいつも詩の方が
絵画よりもすごいと思っている。で、結局絵は何も語らず、沈黙を守っ
てるが、僕はやっぱりこの方がずっと好きだ。


 『F.O.U』 佐藤春夫
「一文無しだ」
と彼がいう時に、不思議と最も高貴の感が強かった。
「貧乏というものは苦しいものだ」
という時、不思議と最もロオマンスの感が深かった。
そうして彼という実在は表象的なものになり、同時に社会に対するアイ
ロニイのようにも見えた。
 イシイが画を描くということをフェリックスが知った。そこで彼に一
度その作品を見せてもらい度いと懇願した。物好きである。この奇異な
ばかり高雅な人物がどんな芸術を持っているかが知りたかったのだ。或
る予想を持つことが出来たのだ。
「・・・・・・・・」
懇願に対してイシイは無言で、ただものを恥じた子供のように笑った。


 『科学とヒューマニズム』 シュレージンガー
 この重大な退場。自己自身を削除し、演技全体になんの関連もない一
観察者の地位に退く、には、それをまったく害のない、自然な不可避的
なものに見せるような名がつけられている。それは、世界を客体として
眺めることであるから、まさに客体化と呼ばれる。諸君がこれをなすや
否や、諸君は諸君自身を事実上除外したのである。それで「われわれの
まわりの実在世界という仮定」なる表現がしばしば用いられるのである。
なに! 白痴だけはこれをやらないって? まさにその通り、白痴だけ
はやらない。しかもこれはわれわれの自然を理解する仕方の決定的な特
性、決定的な特徴であり、そしてそれが結果を持つのである。


 『山頭火日記』 種田山頭火
 とにかく節制へ、そして簡素に、そしてそれから枯淡

 芸術は誠であり信である、誠であり信であるものの最高峰である感謝
の心から生まれた芸術であり句でなければ本当に人を動かすことは出来
ないであろう。澄太や一洵にゆったりとした落ちつきと、うっとりとし
た、うるおいが見えていて何かなしに人を動かす力があるのはこの心が
あるからだと思う、感謝があればいつも気分がよい、気分がよければ私
にはいつでもお祭りである。拝む心で生き、拝む心で死のう、そこに無
量の光明と生命の世界が私を待っていてくれるであろう、巡礼の心は私
のふるさとであった筈であるから。


 『波止場』 内田百聞
 私は段々悲しくなって来て、涙が何時迄も止まらずに流れた。そうし
て、こんな事を考えた。目玉の中から出る涙と、心の奥から出て来た涙
とある。心の奥から出た涙でも心は涙の通るのを知らずにいることがあ
る。出て来た涙を見た後で、始めて心の奥の事を知る時もあるだろう。
そうだそうだ、どうやら解りそうになって来たと思って、私は猶の事泣
いた。


 『エセー』 ルソー
 確固不動なのは白痴だけです。